「成城初等科の想い出」  岩崎良美



 私が生まれた時、長姉はもう初等科に入っていた。そして四年後には次姉も赤坂先生の松組に入っていたので、私にとって電車通学で成城に通うことはごく自然なことでした。

 入学当時の電車通学はまだお友だちがいないこともあり不安がいっぱいでした。唯一の頼りの次姉は新宿に着くとお友達と約束している為に、小田急線に関しては同じドアから乗ってはいけないと言うのです。(きっと兄弟姉妹どこでも同じようなことがあると思いますが。)姉から見れば友達との楽しいおしゃべりの中に三才下の妹が入りこんでくるということは、おしゃべりのテンポどころか楽しさも半減したのかもしれません。でも入学したての私にとっては、姉達の輪の中にいられることはちょっぴり魅力的なことでもあったのです。子供心で考えた末に、私は新宿からの急行の出発直前に姉達のいるドアからとび乗りました。姉はビックリするやら呆れるやらで、その後「同じドアから・・・」の件はあまりうるさく言わなくなりました。

 成城の授業の中で他の学校と違う科目に「あそび」「さんぽ」そして「劇」の時間がありました。児童劇にとても熱心だった北島春信先生が六年間の担任(長姉も六年間北さんの桂組でした)であったことも、今の私の女優という仕事に何か結びついているような気がしています。

 四、五年生の頃に『劇』の時間でやった"一分劇"は今でもとても心に残っています。皆で何かを作り上げていくその作業がとても夢中になれたからです。ひとつのテーマに各班がそれぞれに考えた動きやセリフを入れて小劇にしてゆくのです。そして後半はそれを発表するのです。机ごとに六班に分かれて全く違うオリジナルのものができてくる。当時はそれがあたり前の結果であったが、今になって自分が振り返ってみると、子供達の個性をみつめ大切に育んで下さった先生方がとても懐かしく思えます。子供達もひとつの流行は風潮にとらわれずに、ひとりひとりが自由にのびやかに物事を考え行動していたと思う。そうそう、成城っ子としてやってはいけないことも三つあった。石を投げない・棒をふりまわさない・ポケットに手を入れて歩かない、だったと思う。

 初等科から駅までの道程を、すもう草や笹の葉を摘んで遊んだり、クローバーで花の首飾りを作ったり、ドーナツ池でえびんちょづりや板すべりでスカートをドロドロに汚して、母が困った顔をしていたことも懐かしい。今思うとあの頃は一日を十分に楽しんでいた、北さんと三十八人の子供達・・・。



プロフィールへ戻る